-
100%達成の御礼と、引き続きのご支援のお願い
- 7月5日(金)よりTHE KYOTOにてクラウドファンディングに挑戦させていただいておりますが、7月8日(月)に、皆さまの温かいご支援のおかげをもちまして、目標額の300万円を達成することができました。誠にありがとうございます。
しかし、移築総額費用までにはまだ遠く及びません。引き続きご支援を賜ることができましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。 -
ごあいさつ
- はじめまして。
神戸市在住の山西昭義と申します。
浄土真宗本願寺派歓喜山光明寺の住職とルンビニー愛児園(保育園)の代表をつとめております。 -
- 阪神淡路大震災で被災して姉や姪を亡くし、私自身も家族ともども瓦礫の下敷きとなりましたが九死に一生を得ました。長男は母親のお腹の中(妊娠4ヶ月)で被災しましたが、何とか助かり、いまともに「こうみょうじ文化部」として活動しております。
土にまみれて苦しい思いをしたことがきっかけなのか、唐津など土ものの古陶磁の魅力に引き込まれ、気がついたら茶の湯との出逢いがありました。 - お茶会の趣向と法話の流れを組み立てることに共通点を感じ、茶の湯を通じて仏教や日本文化に親しんでいただく活動を続けております。
-
51歳で亡くなった友
- 全国各地に布教に赴かれ、西本願寺の動画配信『お坊さんがゆく』でも西本願寺の顔として活躍された兵庫県尼崎市の浄元寺前住職宏林晃信さん。2021年1月14日に走り抜けるように51年の生涯を終えられました。
-
- お寺の住職・保育園の代表・布教使など共通点も多く、互いのお寺のご法話にも行き来しながら想いや悩みを語り合った仲でした。
悲しみは癒えませんが、奥さまから庭のお茶室の移築のお話をいただきました。彼の生前の生きざまを讃え、そのバトンを受け取るような思いです。私なりの活動を続けることで、彼が精一杯生きた証を形として遺したいと考えました。 -
楽しみながら教えを伝える
-
- 私は、茶の湯を学び始めた40歳ごろから「お茶会法座」を始めました。若い方々の寺離れや加速する人口減を見つめながら、茶の湯は楽しみながら仏さまの教えをお伝えするツールとして適していると考えたからです。
私のソウルフードである「神戸たこ焼き」を懐石とした茶事や「イタリアン茶事」、季節によって松茸や牡蠣なども組み合わせています。 -
- また、京都・西陣に人の流れを作ろうと、手織りミュージアム・織成舘で毎月、「織成月茶会」のお手伝いを長男とともにさせていただいております。その他、主に神戸の史跡巡りである「おとピク」(おとなのピクニック)や古陶磁を手に取って検証し、楽しく学ぶ「やきもん勉強会」など、茶の湯を介して親しんでいただけるようつとめてまいりました。
もちろん住職としての勤めやあちらこちらのお寺さまにご法話にうかがう布教使の活動もおろそかにはしていません。
茶室の移築は、こうした活動にぴったりとかなうものです。 -
-
3畳台目の茶室を移築
- 亡くなった友との縁や想い出を確かめながら、ありがたく移築のお話を進めさせていただくこととなりました。
材木屋さんの門徒総代さんが解体した材を保管してくださり、大工さんとも相談をしてまいりました。詳細はお茶の世界の大先輩にいろいろと相談に乗っていただいております。
移築場所は限られており、庫裏の玄関前に3畳台目のお茶室を移築することになりました。
移築ですので、大枠の形は決まっておりますが、できる範囲で使い勝手の良いように形が変わるかもしれません。 -
- しかし、移築のみの最低限の見積もりでも550万円が必要です。自己資金やご門徒さまからの浄財もお願いいたしますが、限界があります。さらなるご縁もいただきたく、クラウドファンディングを実施することにいたしました。
-
新たなコミュニティーを
- 拙寺があります神戸市兵庫区は、昭和20年3月17日の神戸大空襲で焼け野原となりました。このため、都市計画によって、同じ兵庫区内ではありますが、全く違う今の場所に移りました。その時点でお寺を中心にご門徒さん宅があるというコミュニティーは失われてしまいました。しかし、神戸市を中心にその周辺地域に移り住まれたご門徒さんとは月参りでつながり、朝から夕刻までかなり遠くまで月参りにうかがう毎日でした。
-
- 一方で、戦後50年をかけて再び近隣に新しいご門徒さんも増えてまいりました。しかし、ちょうど空襲から50年後の平成7年の阪神淡路大震災により、地域が壊滅状態となり、また再び周辺のご門徒さんたちは離散、お寺の庫裏や山門も全壊し大打撃を受けました。
震災後の神戸はジリジリと京都や大阪に遅れをとり、それとともに若い方のお寺離れや人口減も加速しております。
加えてコロナ禍もあり、従来のお寺が果たしてきた役割はどんどん失われつつあると感じております。これからのお寺はさらなる人口減で厳しい時代がやってまいります。
しかし、嘆いているばかりでは何も変わらずですね。
お寺はかつて、もっと楽しみに人が集まる場所だったに違いありません。楽しみながら仏さまの教えに出逢う場所だったに違いありません。
西本願寺の歴史に触れる書物を読んでみますと、いにしえの時代にあった寺内町では毎日のようにどこかで茶会や能・狂言などが行われてたくさんの人で賑わったそうです。
時代は変わり形は違えども、お寺自身が積極的に魅力のある活動を展開することによって、自然に人が集まり維持されていくことができると考えております。
未熟なことではありますが、それが拙寺では法話と茶の湯を組み合わせた活動です。
茶の湯をお寺の活動のツールとして考えてみますと、禅語を記した掛軸をはじめお道具に名付けられた銘など、どれをとっても仏教に関係が深く、それが法話の題材になったり、自らの体験とリンクしたりといろいろと展開してまいります。 -
- 茶の湯を楽しみながら、仏さまの教えや日本の文化に親しんでいただく空間がお茶室であるといえるでしょう。
このお茶室を中心に、掛軸をはじめお道具の銘や茶会の趣向などから、短い小噺法話や逸話に実体験などを織り交ぜながらお茶をお点てして楽しんでいただき、気がつけば仏教や日本の文化に興味が湧いていた。そんな雰囲気作りを目指す新しい活動を展開していきたいと思っています。 -
リターンについて
-
- こうみょうじ文化部として、初めての方にも気持ちよくお茶を差し上げたい、仏教のお話を分かりやすく楽しく伝えたいをモットーとしてまいりました。
小噺法話、唐津、神戸たこ焼き、茶事などetc…。
普段からその活動に取り入れてきた拙寺にしかないオリジナルグッズを中心に取りそろえました。 -
- また、体験型の返礼も普段の活動で皆さんに好評をいただいているものをご用意いたしました。
-
リスクとチャレンジ
- すでに、檀家総代さまと一緒に、茶室の移築に取りかかっております。檀家さまの浄財と自己資金もあわせて、完成に向けて進んでおります。
-
- クラウドファンディングの目標額が達成しなくても、移築計画を断念することはありません。
いただいたご支援に対し、返礼品ならびに返礼のイベントは予定通り提供いたします。しかし、天災などを含む社会的情勢の影響で、やむを得ず時期が遅れる可能性もございます。その場合は、なるべく皆さまにご納得いただけるよう誠意を持って対応させていただきます。 -
さいごに…
- 宏林さんは学生時代、古儀茶道藪内流を少し嗜み、私は40歳から藪内流に入門いたしました。藪内流と私どものお寺の本山である西本願寺は、400年ともに歩んできた歴史があります。
-
- 初代の藪内剣仲は、武野紹鴎に学び、14歳上の兄弟子の千利休とは親しくお茶で交わりを持ったようです。
その利休が剣仲に宛てた「うらやましの文」という手紙が家元に伝えられております。小さな茶室の中で、国を動かすような大きな勤めを果たしていた利休に対し、剣仲は権力からは距離があるところで独自の茶の湯に邁進していたようです。 - 「その境遇がうらやましい」
- との内容なのです。
- 宏林さんと出会いますといつも「好きなことをしている山西さんがうらやましい」という話になりました。私からすると西本願寺を中心に全国に向けて活躍される宏林さんがまぶしく、彼の活動を友として誇りに思っておりました。しかし、それだけに身体にも大きな負担があり病魔に蝕まれたのだろうとも思います。
拙寺に布教に来られる彼にお茶を一服差し上げる時は、いつも利休居士の「うらやましの文」のことを思い出し、「ホッと一服してね」という思いでお茶を点てておりました。 -
- 茶室の移築が終わりましたら、これからはお客さまに差し上げながらも、常にその一服一服が彼との思い出に浸り、いつも彼との新たな出逢いの場となる。そんな空間になると感じております。
そのような空間を皆さまともいずれ共有したいと存じます。
ご協力賜ることができましたらこんなに嬉しいことはございません。どうぞよろしくお願い申し上げます。 -
宏林さんの奥さま、浄元寺現住職宏林寿子さまよりメッセージをいただきました
- この茶室は、私の父方の祖母の里、広島県福山市にあります、西福寺から移築されたものです。
私がまだ小学校5年生頃でした、父が「広島迄行くか?」と、私たち姉妹に声を掛けてきました。
私達はただ、何も知らず「うん!行く行く」と言い、空のトラックで資材を取りに行ったことを覚えています。
帰りの車では妹と、"隅田川"の歌をハモりながら、何度も歌って帰ったことでした。
後から母から聞いた話ですが、父は娘たちが一緒にいなかったら、しんどくてとても帰られなかっただろうと話していたそうです。
凝り性の父は、お茶室用の本を買い、それを見ながら大工さんと一緒に作っていました。その本を手に取り、改めて開きますと中には色々とメモが挟まっており、当時の父のお茶室建築への思いが伝わってきました。
汗かきの父は首にタオルを巻き、汗を拭き拭き真っ赤な顔をしながらも、その姿はとても嬉しそうでした。
こんな話も思い出します。完成して、初めて茶道具を入れていた時、父がこの日のために楽しみにして買っていた、骨董の一輪挿しの様な小さな瓶の様なものを足元に置いていたところ、掃除をしていた母の足が当たり、パリンと割れてしまったのです。
一瞬沈黙が流れましたが、直ぐに母が「ごめんなさい」と謝ると父はいつもの口癖の「ええから、ええから」と言って母を安心させていたのでした。
本当に優しい父でした。
私が結婚すると、前住職が、藪内流のお茶を習っていたと知り、毎年元旦に主人がお点前をしたお茶と花びら餅を、親戚と一緒に頂いていました。
思い出が沢山詰まったお茶室が、また光明寺様で命が吹き込まれる事は、私、浄元寺にとっても、大変有難く嬉しい事です。
今回のクラウドファンディングのお話しをお聞きして、皆様のご厚意で建てられるというのは、とても意味があると思いました。何とかお力添えを皆様から頂きたく思います。 -
賛同者のメッセージ
-
藪内允猶斎竹卿紹智(古儀茶道藪内流14代家元)
-
-
林 敏正(浄土宗知恩院派 金毛院住職)
-
-
筒井 紘一(茶道資料館顧問・一般社団法人文化継承機構代表理事)
-
-
渡邊 昌子(株式会社渡文)
-
-
坂本 直樹(一般社団法人 唐津観光協会会長)
-
-
武田 貴志(きもの百科 イトカワ)
-
-
徳淵 卓(株式会社万ヤ 代表取締役)
-
-
吉田 常茗(京都東山 鶴栖居)
-
-
安盛 永博(蓬莱堂茶舗)
-