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曇華院について
- 曇華院門跡の歴史は室町時代の京都尼五山の一つ通玄寺にさかのぼります。瑞雲山通玄寺は、京都市中京区の三条東洞院に建てられ、足利義満により京都尼五山に加えられた由緒あるお寺です。
開基である智泉聖通尼(1309-1388)は順徳天皇の曾孫にあたり、晩年、通玄寺の敷地内にある曇華庵で隠居したことにより、やがて曇華院と改称し今に至っております。京都文化博物館の一角に「曇華院前町」という町名が残されているのも往時をしのばせるものです。
【下写真】中京郵便局の西側(東洞院三条) -
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現在の地へ
- 曇華院は何度となく火災に遭いながらも後西天皇皇女(大成聖安尼1668-1712)のご入山により大規模な修復がなされ、続く東山天皇、中御門天皇、光格天皇それぞれの皇女が代々入山し、御所との深い繋がりのもと尼門跡としての法燈を守って参りました。
1864年の禁門の変による大火災により、明治4(1871)年、足利義満創建の鹿王院に隣接する現在の地に移りました。 -
- 現在の本堂や書院は、この時の火災を免れたご本尊様をはじめ、建築材や調度品により再建されました。そのため、代々天皇の皇女が繋いできた雅な雰囲気をそのままに、どの部屋も優美な襖絵で囲まれているのです。
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残りの半生をかけて
- 私自身は京都生まれの京都育ち。千種という旧華族の家に生まれました。曇華院の29代飛鳥井慈孝さまは大叔母にあたります。幼いころはお寺の敷地内の離れに住み、御本尊さまにお茶湯をお供えし、ごく自然に仏様をお守りするお手伝いをしておりました。そのご縁で現在、このお寺の法燈を継ぐことになりましたが、記憶にある襖絵や杉戸と比べるべくもございません。何よりここ数年の傷みの進行には恐ろしささえ感じます。厳しい気候環境が悪影響を与えているのでしょうか一刻も早い修理保存をと思います。
【下左写真】杉戸未修復 【下中央および下右写真】修復(剥落止め)済 -
- この襖や杉戸はもとより、美しい曇華院のお庭や、尼門跡らしい優雅な雰囲気をなんとしても次の世代に繋ぎたいという思いはますます強くなっております。ご本堂やこれらの修復には膨大な費用と時間がかかり、どこまでできるのかはわかりませんが、残りの半生をかけて勤めさせていただく所存です。
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集まった資金の使い道
- このたび着手する2枚は特に傷みが激しく500万円を超える費用がかかります。まずは修理前の調査を行い、障壁画本紙のクリーニング、絵の具の剥離止めなどを施したあと、裏打ち紙を取り替えると同時に亀裂箇所を補強します。
現状の装丁は襖貼付け装ですが、修理後は拝観の方にも鑑賞いただけるようお衝立として展示可能な幀装にし、そのための「脚」も新調したいと考えています。 -
皇室ゆかりの尼寺ならでは 雅な雰囲気のリターン品
- 皇室ゆかりのお寺としての風格と尼寺ならではの雅な雰囲気のリターン品をご支援いただいた金額に応じてお送りいたします。
一例として、クラウドファンディング限定御朱印や、クリアファイルのセットのほか、ジュエリーデザイナーである住職自ら厳選した天然石を使って作るストラップやブレスレット。また通常非公開である曇華院でのお写経やお煎茶席へのご招待など少人数で楽しんでいただける特別拝観の機会をご用意するほか、住職のエレクトーン演奏によるミニコンサートなど、今回のクラウドファンディングのためだけのリターン品です。 -
リスクとチャレンジ
- 現在、複数の襖の全体像を解明し、実際の修理に向けて調査を続けております。ここ数年の傷みの進行は著しく、仮に「目標額」に達しなかった場合でも修理保存に着手いたします。ご支援金はその費用の一部に充てさせていただきます。
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最後に
- このクラウドファンディングによって、広く皆さまのお力をお借りし、御本堂や書院の貴重な障壁画を順次修理保存することにより、皇室ゆかりの尼門跡として、由緒と雅な雰囲気が次代につながりますよう精進してまいります。どうぞ皆様のご支援ご協力をお願い申し上げます。
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賛同者メッセージ
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大聖寺門跡 金澤東雲さま
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天龍寺 宗務総長 / 寿寧院 住職 小川湫生和尚さま
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