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阿弥陀寺とは?
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- 阿弥陀寺の開山は、織田信長公と親交があり、奈良東大寺の勧進職も務められた清玉(せいぎょく)上人です。天正10年6月2日、戦乱の中本能寺に駆けつけ、信長公の遺骸を持ち帰り、本能寺・二条城でなくなった方々を引き取り、供養しました。その後、豊臣秀吉から3度にわたり阿弥陀寺で葬儀がしたいという申し出がありましたが、清玉上人は、相当の法事はすでに済みましたと固辞して、これをお受けになりませんでした。
- 当時、蓮台野にあった8町(約880m)四方の寺域も、豊臣秀吉による京都の改造区画整備で大幅に縮小移転され、現在地に至ります。それから400年以上にわたり、織田家・ご家来衆の子孫の方々をはじめ、檀信徒の方々の帰依をうけ、天明の大火をはじめとする数々の大火や廃仏毀釈などの危機を乗り越えながら今日まで続いて参りました。
- また、江戸時代の儒家である皆川淇園の墓とその墓誌、俳優・森光子様のお墓もあります。
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勅使玄関について
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勅使を迎えるために
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- 勅使来訪後間もないころ(大正後期~昭和初期ころ)の阿弥陀寺庫裏
- 明治時代、ときの天皇陛下により織田信長公に正一位が追贈されることとなりました。研究者による調査の結果、全国にあまたある織田信長公のお墓のうち、阿弥陀寺こそが本廟所であると認められました。そこで、阿弥陀寺において信長公正一位追贈の儀式が執り行われることになり、それにともない境内の改修・整備が行われました。
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- 京都日出新聞(現:京都新聞)大正6年12月14日1面(提供:京都新聞)
- 大正6年(1917年)に行われた儀式の際には、檜皮葺唐破風の格式高い勅使玄関から勅使をお迎えし、渡り廊下を通り、本堂・織田信長公墓前にて厳かに贈位が行われました。
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現在の姿
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- それから100年あまり、様々な災禍を乗り越えてまいりましたが、近年雨漏りが発生しました。応急処置のさなか、明治43年(1910年)の棟札も見つかりました。隣接する渡り廊下とともに、令和13年(2031年)の織田信長公450回忌に向けて、全面的な改修を行います。
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建造物としての価値
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- 勅使玄関の中備 彫刻
- 明治43年(1910年)に上棟された勅使玄関は、現在の庫裏の一部に当たります。江戸時代に使われた庫裏にも「式台」という唐破風の屋根の玄関があり、そちらは文政12年(1829年)に、内大臣であり阿弥陀寺の檀家だった広幡経豊(ひろはた・つねとよ)卿の発願によるものです。
広幡家は、後陽成(ごようぜい)天皇の甥である忠幸王が臣籍降下されたことに発する家で、以来五摂家に次ぐ清華家(せいがけ)として、朝廷を支えてこられました。また阿弥陀寺にとっても広幡家は筆頭檀家であり、歴代の当主・一族の方々をお供養してまいりましたと共に、当寺の護持・発展に協力していただきました。
今に残る勅使玄関は広幡経豊卿による式台をベースにして作られたものではないかと考えられます。獅子口の部分には菊紋が配され、中備(なかぞなえ)に施された雲や龍の彫刻も見事です。また、阿弥陀寺の庫裏は、この玄関が檜皮葺、そしてその横の軒が杮葺、そのほかが瓦葺と、3つの葺材が使われているという点でも貴重であるといえます。 -
渡り廊下について
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- 渡り廊下は、勅使玄関と同時期に完成しました。新しい庫裏が現在地にできたことで、庫裏と本堂をつなぐために建てられました。
勅使がおいでになられた際は、勅使玄関より庫裏へ入り、この渡り廊下をお通りになり、本堂へと参られました。
渡り廊下からは境内や比叡山をを見渡すことができます。 -
ご支援の使い道~修理費用について~
- 改修にあたっては、勅使玄関は檜皮という特殊な葺材、そして渡り廊下は20mにもおよぶ長さという条件も相まって、6500万円という莫大な費用が必要です。これだけの金額を寺や檀家の方々だけで調達することは難しく、このプロジェクトを通じて、少しでも皆様にご協力をいただければと考えています。
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大学生による文書調査
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- ラベル貼り(文書番号の書いたラベルをそれぞれの文書に貼る作業)の様子
- 2024年11月に、室町末期から昭和末期に至る約400点の文書が発見されました。それに伴い、京都府立大学文学部歴史学科文化情報学研究室協力のもと、2回生(当時)を中心に文書調査を開始しました。現在は目録作成・撮影・ラベル貼り・翻刻作業などを進めています。
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- 信長忌でも展示されている巻子を撮影し、法量を測る様子
- 調査により、信長公・信忠公の親戚である織田諸家や、その家臣から大名となった森家・青木家との関係が明治期まで続いていたことが明らかになりました。また、文書の多くは明治期から大正期のものであるため、廃仏毀釈により疲弊した近代寺院のすがたを知る手がかりとなります。
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信長忌での展示活動
- 阿弥陀寺では、毎年新暦の6月2日に「信長忌」を執り行い、天正10年(1582)6月2日に本能寺や二条城で亡くなった方々を弔っています。当日は、後陽成天皇より賜った勅額、信長公が使ったと伝わる弓掛・手鑓・鞍覆などの寺宝を展示しています。
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- 2025年からは、阿弥陀寺文書調査の成果を踏まえた新しい展示も行っています。
記念すべき第1回は、江戸時代の寄進状や往復書状の控帳を通じて、阿弥陀寺と大名家との関わりを紹介しました。
2026年に行われた第2回目では、主に文化・天保年間に作成された絵図や、近代の境内整備に関する文書を通して、阿弥陀寺の境内がどのように変化してきたのかをご紹介しました。 - 展示の企画・展示資料の選定・キャプションの執筆など、すべてを京都府立大学文学部歴史学科の学生(主に当時の3回生)が担当しました。単に展示を行うだけでなく、「一般の方にどのようにわかりやすく史料の価値を伝えるか」ということに向き合い、自分の言葉で来場者の方に展示の内容を説明しました。
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学生による調査報告書の執筆
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- 調査報告書会議の様子
- 2027年3月には、文書調査の成果をまとめた報告書を刊行します。企画・執筆は学生が中心となって進めています。報告書では、戦国時代における政治動向と阿弥陀寺との関係から、江戸時代の織田家・森家・青木家との関係、さらに明治期の廃仏毀釈後における寺院の生存戦略に至るまで、多様な時代・テーマを扱います。
また、古文書の翻刻・目録に加え、石造物・建築・仏像など多様な文化財を取り上げることで、阿弥陀寺の歴史と文化を総合的にわかりやすく学べる本となっています。
かさばりにくいB5判で約300P、カラー口絵もあり、翻刻や目録も充実しています -
- 調査報告書はこのプロジェクトのリターン品としてご用意しました。2027年3月22日(月曜日・祝日)の13時からは、阿弥陀寺で報告書完成記念イベントを実施します。実際に報告書で扱った史料の展示や学生による解説、報告書で取り扱った建築物や墓石類を観察するフィールドワークも計画中です。イベント参加+報告書のリターンのご用意は限定40名様となりますので奮ってお申し込みください。
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リターンについて
- リターンでは、毎年好評の信長忌へのご招待券をはじめ、京都府立大学生による報告書、天井絵の画集、織田木瓜をあしらったお皿やお茶碗などをご用意しております。
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- 3万円のリターン品
本堂天井絵画集『彩華来迎花浄土之図』上田幸子画 -
- 5万円のリターン品
【限定60枚】織田木瓜菓子皿 -
- 15万円のリターン品
【限定50碗】織田信長公400回忌記念 織田木瓜天目茶碗 -
応援メッセージ
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- 写真提供:阿弥陀寺、三村博史様、賛同者の皆様



















